『感情ライン』








「大佐、」
「なんだい中尉」
「お手が。」

止まっております。
そう言うと、彼の人は困ったような嬉しそうなような、複雑な笑みを浮かべる。

「…、君のことを考えていたんだよ」
「そうですか。」
「つれないな」

今度は、目を細めて見上げてくる。慈しむような、腫れ物に触れるような。
その目を捉えていたくなくて、流れを装いつドアの方へ踵を返す。

「早くお仕事を片づけておいてくださいね」
「おや、どこへ?」
「私にも私の仕事があるんですよ。」
「……そうか。」


やめてほしい、と思う。そんな風に私を見ないでと、泣き出したくなる。
意味のない激情はまるで聴き手のない劇場のように。酷く脆く、哀しげに。

カツリと響きだしたペンの音を確認して背を向け、部屋から出る。


「中尉。」


正確に言うなら、出ようとした。
とん、と静かにドアに手をついた音。後ろの気配。
ドアノブを片手に、もう片手にはファイル。ドアの方を向いたまま背中越しに感じる微かな息遣い。


「嘘は関心しない」
「…」
「君の仕事場はここで、君の仕事は私の監視だ。」


違うかね?と。
この男は言うのだ。きっと、さっきみたいな顔を、して。

やめてほしいと、願う。泣いて泣いて、この声掻き消えるくらいまで、ずっと想うままを叫びたいと、願う。


「なにか、私から逃げる理由が?」
「…、いえ。」


請うものは、


「それとも、私がなにかしたか?」
「……とんでもありません」


ひとつだけ、


「…ならば、」


赦しという名の解放を。


「なぜ?」


答えねばと思う。上司の質問に応答するのは部下の義務だ。
理性に感情がついてこない。慣れない状態にどうしようもなく焦ってしまう。焦りを普段感じないだけに更に焦る。感情のループ。


「…そんなにも、」

「そんなにも、私は君を追い詰めているのか。」


リザ。

声は低く、何かを求めるように響く。
酷い公私混同だ。
後ろから抱きすくめられる姿勢から逃げ出す術を私は知らないのに。


「…やめてください、」
「答えるまで」
「大佐、」
「君が私を大佐と呼ぶなら、命令だと言い換えようか。」


なんて狡い人だろう。なんて狡くて、酷い。
くるくる廻る感情は、弄ぶように舞い踊り、掻き乱しては喜び笑う。


「そんな、大佐程度の愛情なんて、いりませんから。」
「…それで?」
「離してください」


嘘だ、と、自分の中で声がする。
その真意を助長するように小さく震える体を、誤魔化そうと足掻く。


「こうやって仕事の手を止めるのも、普段馬鹿みたいな発言をするのも帰りに見送ってくれるのもハヤテ号をみてくれるのも全部全部迷惑なのよ…ッ」


うそ。
冷高ぶる感情に対して冷たい声がする。

耐えきれずに俯いて両手で顔を覆う。ばさりとファイルが落ちる、静かな部屋には煩すぎる音が響いた。


「…、そうか。」


知っているからだ。
彼の愛の本当の深さもそれ故の無干渉も、愛の根底にあるものも全部全部、知ってしまっているから。


「…そうよ、…っ」
「……」


知っているからこそ、の、不安焦燥恐怖に、私は耐えられないから。

「…嘘がここまで下手な女性も珍しいな」


喪ったら、立ち上がれなくなるのが分かっているから。


「…煩いですよ大佐…」 「事実だろう?」 「……、」 「…、すまない。」


だから、聴こえない振りを続ける。一方的な愛の享受を、演じ続ける。

きっとずっと、あの微笑みを、




*****

ファイルに紛れて落ちた髪留めは、端が欠けて不完全な形を保ったまま








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「25A」の三枝しあん様から、誕生日プレゼントにいただいたロイアイ小説です!!
殺されるかと思いました!文章書ける人って本当にすごいなぁと思います。表現の幅がすごいですよね。 シリアスロイアイ最高です。本当にありがとうしあん!!